1971年 大牟田市にて祖父、父とも大工一家の3代目長男として誕生しました。
吉野小学校から橘中学校、三池工業高校へと進み、卒業後の19歳の時に、家業に入りました。子供の頃から、ずっと父の背を見て育って来た私には、自然な流れでした。
下積み時代は、カンナなど道具の使い方から手入れ方法、基本の墨付けなど厳しく叩き込まれ、何度も辞めたいと思いましたが、今では「あの時本当に辞めなくて良かった」と思ってます。
お蔭で、大工としての色々な経験や知識を積むことが出来ました。

そして32歳で独立。大牟田市加納町に事務所を構えました。
ゼロからのスタートでしたが、なんとか仕事にも恵まれ、無我夢中で頑張っておりましたが、突然、足のケガにより急遽入院というアクシデントに見舞われました。
元々体力には自信があっただけに、現場に出ることも出来ない、思うように動かない自分の身体がもどかしく、悔しい思いを致しました。
でも、その立ち止まった時間は、私に色々と考えるきっかけくれました。

お客様の色々なニーズに答えるために、もっと満足してもらうためには、どうしたらいいのか・・・昔ながらのやり方だけではだめだと考え、色々な勉強をしてすこしずつ資格を取得して行きました。
また経営を学ぶために、大阪にも1年程通いました。
その後は、お蔭様で順調に事業規模を拡大、11年後の2014年、念願でした法人化を果たしました。
また2019年には事務所を加納町から、この生まれ育った地元吉野に移転、現在に至ります。
30年以上前に友人十数人で「アワーヒストリー」というチームを作り、 大牟田ホリデーリーグに参加しました。
始めは惨敗でとても悔しく、毎日仕事が終わってから練習していました。年々勝てるようになり、6年後優勝出来ました。
つらい事もありましたが、仲間と成し遂げた事は楽しい思い出です。
もうチームは解散しましたが、ソフトボールを通じて何事も諦めず、真剣に取り組めば達成できる事を学べたと思ってます。
現在は荒尾市でソフトボールのオーナーもしています。
また地元小学校、吉野少年ソフトのコーチのお手伝いを2025年まで、約10年程携わって来ました。


21歳の時から吉野の消防団に入って在籍30年以上になります。
防災訓練や、徘徊模擬訓練にも参加していますが、最近は大雨が多く、分団格納庫での待機が増えました。
仕事をしながらの災害出勤は大変ですが、少しでも地元を支える事が出来るならこれからも頑張って行きたいと思っています。

